メディア掲載記事紹介!施工した記念碑が掲載されました!

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お墓を建てる・引越し・跡継ぎ・墓じまい・霊園・寺院探し

こんにちは、今回は牧之原石材が施工した記念碑が2社の新聞に掲載された記事についてご紹介します。今回も少し前(だいぶ前かも)ですが、2010年に静岡新聞と中日新聞に掲載された記事です。

目次

  • 実際の掲載記事
  • 掲載記事の内容
  • 記念碑の特徴
  • まとめ

実際の掲載記事

静岡県の県紙としては発行部数がトップであり高いシェアを持つ静岡新聞と東海地方を
中心とする地域で発行する中日新聞(静岡県版)の2010年3月22日の記事に掲載されました。

静岡新聞

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中日新聞
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掲載記事の内容

牧之原市坂部で行われた本間賢三の記念碑除幕式の記事です。掲載された記事の内容を抜粋します。

静岡新聞
本間賢三の記念碑除幕
没後100年 郷土発展の寄与たたえ
郷土の発展に寄与した本間賢三の没後100年を記念して21日、 式典が牧之原市坂部で行われた。地域住民や子孫ら約70人が参加し、記念碑「観理坤(こん)徳之碑」を除幕し、完成を祝った。 本間は1837年に前玉村(現同市坂部)で生まれた江戸時代末期、 明治期の政治家。県議などを務め、同地区の財産の基となった馬草場の 永代小作権の獲得や大井川を水源とする農業用水の導入、坂口谷川の改修などに尽力し、1911年に75歳で死去した。 記念碑の建立は一昨年春に住民から「没後100年で記念行事を計画 してほしい」と要望があり、昨年2月に「本間賢三翁(おきな)没後 百年祭実行委員会」が発足。今年1月から工事を始め、坂部地区を一望 できる高台に完成した。碑は横2.1メートル、縦1.3メートルで、表面に遺業を記載した。「観理坤徳之碑」の文字は川勝平太知事が揮毫 (きごう)した。式典で、板倉小右衛門実行委員長は「区民一同で感謝の気持ちを表し、空港を核とした地域の活力ある発展を望みたい」とあいさつ。西原茂樹市長は「本間翁が心血を注いだ坂部地区の福祉、文化、産業の振興を願いたい」と述べた。

中日新聞
牧之原の河川改修などに尽力
「本間賢三」顕彰碑除幕
明治の初め、牧之原市坂部に大井川を水源とする農業用水の導入や、坂口谷川の改修工事などに尽力した本間賢三(1837~1911年)の業績をたたえる記念碑の除幕式が21日、同所の前玉原公園であった。没後百年を記念して「ゆかりの賢豪を顕彰しよう」と、昨年二月 百年祭実行委員会を設立。住民や地元企業から善意を募るなどして準備をしてきた。碑は黒御影石で、台座を入れて高さ2メートル、横2.1メートル。表面に川勝平太県知事が「観理坤徳之碑」と揮毫 (きごう)し、生い立ちを紹介。裏面は「坂部まくさ場の変遷」として、山林原野を永代借地権として確保した業績を刻んだ。式には関係者約70人が出席。板倉小右衛門実行委員長「区民一同感謝の気持ちを表し、同時に空港を核とした地域の活力ある発展を願い、ゆるぎない安寧の郷を守り育てていく」と祭文を読み上げた。

記念碑の特徴

台座にはグレー系の特殊加工をほどこした石を使用し、台座の天板と記念碑を支える柱は磨き加工した石にして変化を付け、記念碑は黒御影石を使用しました。黒御影石を使用したことで彫刻した文字もはっきりとしていて、正面に人物画も貼り付けし、たいへん見ごたえのある記念碑になりました。かなり大きい記念碑でしたので、大型クレーン車を使用しての工事でした。
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まとめ

公共事業や学校の記念碑など数々の記念碑を施工させていただきましたが、どの記念碑にも関係者の方それぞれの想いや感謝の気持ちが込められていて、とても素敵な記念碑が完成します。子供たちに伝えて行くためにも残していきたいものがたくさんありますよね。これからも、そんな素敵な記念碑作成のお手伝いができる事を楽しみにさせていただきます。

お墓を持たずに供養を検討している方へ
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勝田至

勝田至

製造業、接客業、運送業と色々経験して
たどり着いた石材店に早や10数年。
4年間の工事部での経験を生かし、お客様の想いを形にするべく日々墓石CADと格闘しながら、提案して形にした数は、2000基以上。
プライベートでは、3人の子供たちに癒されながら、趣味のフットサルやゴルフ、友人や同僚とお酒を飲むことが楽しみ。

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