お葬式の後に玄関先で塩を振る「お清め」。参列経験がある方なら一度は見聞きしたことがあるでしょう。しかし、実際に自分が葬式に参列すると「塩は必ず必要なの?」「やり方はどうするの?」「もし忘れたら失礼になる?」と不安に思う方も少なくありません。
近年では、宗派や地域によっては塩を使わないことも増えており、昔ながらの習慣が必ずしも当たり前とは言えなくなっています。
本記事では、葬式後に塩を使う意味と由来、玄関でのお清めの正しいやり方、忘れた場合や塩がないときの対応、さらに塩を使わない背景まで、初めての方にもわかりやすく解説します。
葬式後の塩は必要?現代の考え方と基本マナー
お葬式に参列した後、玄関先で体に塩を振りかける「お清め」をイメージする方も多いでしょう。昔から「葬式の後は塩で清める」という習慣が日本には根付いてきました。しかし現代では、この習慣を必ずしも行わない家庭や葬儀社も増えており、塩の有無や使い方に戸惑う方が少なくありません。
初めて葬式を経験する方にとって「塩は必ず必要なのか」という点は大きな疑問になるところです。
結論から言えば、葬式後の塩は「必ず必要」ではなく、地域や宗派、または家庭の考え方によって扱いが異なります。かつては「死=穢れ(けがれ)」と考えられていたため、塩で清めることが当然視されていました。
しかし仏教の一部宗派では「死は穢れではない」と解釈し、塩を使わないのが正式とされる場合もあります。例えば浄土真宗では塩のお清めを行わないのが一般的です。
また現代では、葬儀社によっては塩を配布しないケースも増えています。理由は「宗派の違いに配慮するため」や「清めを不要と考える方への配慮」です。そのため、葬儀の場で塩が手渡されなかったからといって、マナー違反にはなりません。
基本的なマナーとして覚えておきたいのは、もし塩が用意されていたら丁寧に受け取り、玄関先で軽く身に振りかけるという流れです。逆に塩が渡されなければ、無理に自分で準備しなくても失礼にはあたりません。重要なのは「弔事を終えて日常に戻る気持ちの区切りをつける」ことにあります。
したがって、葬式後に塩を使うかどうかは「絶対的なマナー」ではなく、「状況や家の考え方に応じて柔軟に判断する」ことが現代のスタンダードになっています。
なぜ葬式で塩を使うようになったのか
ここでは、そもそもなぜ日本の葬式で塩を用いる習慣が広まったのかを確認してみましょう。お清めの塩の由来や意味を知ることで、自分や家族にとって必要かどうかを判断する材料になります。
お清めの塩の意味と由来
お清めの塩は、「死を不浄なもの」と捉える古来の考え方に基づいています。日本では古来、神道の影響が強く「死はケガレであり、日常生活に持ち込まないようにする必要がある」とされていました。そのため、神社では忌中(喪中)の間は参拝を控えるなどの習慣もありました。
塩は古来から「浄化作用がある」と信じられており、穢れを祓う道具として利用されてきました。例えば相撲の土俵に塩をまくのも同じ考え方に基づいています。葬式後に塩を使うのは、家に死の穢れを持ち込まず、清らかな状態で日常生活に戻るための儀式なのです。
また、戦後の高度経済成長期には、葬儀社が「塩を袋に詰めて参列者に配る」スタイルを定着させたこともあり、多くの人にとって「葬式=塩のお清め」が当たり前のように広まりました。
地域や宗派による違い
葬式で塩を使うかどうかは、実は地域や宗派によって大きく異なります。代表的な違いを見てみましょう。
- 浄土真宗:死を「穢れ」とは捉えないため、お清めの塩を用いない。
- 神道:死を穢れと考えるため、塩を使ってお清めをする習慣が強い。
- 仏教の多くの宗派:地域性や慣習に応じて塩を配る場合があるが、必須ではない。
- 地域差:関西や東北などでは塩を使わないケースが多く、関東圏では今でも配布されることが多い。
このように、葬式後に塩を使うかどうかは「全国共通のマナー」ではなく、宗派や地域性、そして家庭の考え方によることがわかります。したがって、参列する際は「その場で用意された塩を使う」くらいの柔軟な姿勢で問題ありません。
葬式後に塩を使うやり方

葬式に参列したあと、自宅に戻って「お清めの塩」をどう扱うか迷う方は多いものです。実際の手順を理解しておくと、初めての参列でも戸惑わずに行動できます。ここでは、玄関でのお清め方法や家族と一緒に行う際の注意点を解説します。
玄関でのお清めの手順
基本的には、自宅に入る前に玄関先で行います。具体的な手順は以下のとおりです。
- 玄関の外で靴を履いたまま、体の正面に軽く塩をひとつまみ振りかける。
- 肩や胸のあたりにサッと振りかける程度で十分。
- 余った塩は地面に落とすか、庭や排水溝に流して問題ない。
このときのポイントは、「大量に使う必要はなく、あくまで気持ちを整える儀式」だと理解することです。まれに「全身にかける」と誤解される方もいますが、それは過剰であり、かえって不自然になります。
自分や家族への塩の振り方
一緒に参列した家族がいる場合、それぞれが玄関先で清めを行うのが一般的です。小さなお子さんや高齢の家族は、自分で塩を振りかけにくいこともあるため、家族同士で軽く肩や背中に振ってあげるとよいでしょう。
また、外から帰宅した後は衣服に付着した塵や花粉を払う意味も込めて、軽く手で体をはらうようにすると、形式にとらわれすぎず自然に行えます。重要なのは「家の中に入る前に区切りをつける」という意識です。
お清めに使う塩の量と注意点
塩の量は「ひとつまみ(指先で軽くつまめる程度)」が目安です。スーパーやコンビニで売られている小袋の塩は、1回の参列で十分に足ります。使いすぎると玄関周りが白く汚れてしまうため、掃除の負担にもなりかねません。
注意点としては以下のようなものがあります。
- 必ず玄関の外で行い、家の中で塩を撒かない。
- 使い残した塩を台所や調理用に回すのは避ける(気持ちの区切りが曖昧になるため)。
- マンションなど共用スペースの場合は、落とした塩を軽く掃き清めておくと安心。
また、宗派や家庭の考え方によっては「塩を使わない」場合もあるため、葬儀社から配布がなかったり、親族から「しなくてよい」と言われたら無理に行う必要はありません。その場合は、玄関先で一礼してから家に入るなど、気持ちを切り替える行動で代替できます。
このように、葬式後のお清めは形式よりも「気持ちの区切り」が大切です。手順を覚えておけば、初めての葬儀後でも落ち着いて実践できるでしょう。
葬式で塩を忘れた・ない場合の対応
葬式の後に「お清めの塩がない」と気づいたり、葬儀社から配布されなかった経験をする方も少なくありません。特に初めて参列する人にとっては「忘れてしまったら失礼にあたるのでは?」と不安になるものです。
しかし、結論としては塩がなくてもマナー違反ではなく、代わりの対応で十分です。ここでは、具体的なケースと対応方法を紹介します。
会場から渡されないこともある理由
まず理解しておきたいのは、葬儀社によっては塩を配布しないことがあるという点です。これは決して忘れたのではなく、意図的な対応です。主な理由は以下の通りです。
- 宗派(特に浄土真宗)ではお清めを不要と考えるため。
- 「死=穢れ」としない現代的な考え方を尊重しているため。
- 地域習慣によって塩を使う文化が薄れているため。
したがって、会場で塩が渡されなかった場合も、慌てて自分で用意しなくても問題ありません。むしろ、その場の習慣や宗派に従うことが大切です。
代わりの方法や気持ちの整え方
どうしても「清めたい」と思う場合には、以下のような代替方法があります。
- 玄関に入る前に軽く衣服をはらい、外気に当たって気持ちを切り替える。
- 帰宅後すぐに手洗い・うがいをして心身をリフレッシュする。
- 小さく一礼して「これで区切り」と心で唱える。
これらの方法は、塩がない場合でも十分に「区切り」の役割を果たします。実際、多くの家庭では塩を省略し、こうした行動を自然に取り入れています。
無理に用意しなくてもよいケース
参列後に塩を忘れたと気づいても、改めて購入してまで清め直す必要はありません。特に次のような場合は、気にする必要がないとされています。
- 宗派が「お清め不要」としている場合。
- 会場全体で塩を配っていなかった場合。
- 親族や故人の意向で簡略化されている場合。
大切なのは、「忘れたこと自体が失礼にはならない」という点です。葬式に参列し、故人や遺族に真心を持って向き合ったことが何よりも重要であり、塩の有無は形式的なものにすぎません。
どうしても心配であれば、次回の参列時に葬儀社や親族へ「お清めは必要ですか?」と一言確認すると安心できます。このように、塩がない場合でも柔軟に対応できれば、マナー違反になることはありません。
葬式後に塩を使わないケースが増えている背景
かつては「葬式の後は塩で清める」という行為が当たり前のように行われてきました。しかし近年では、葬儀社から塩が配られなかったり、家庭でお清めを省略するケースが増えています。
これは単なる省略ではなく、時代の変化や宗教的背景に基づいた理由があります。ここでは、塩を使わない風潮が広まっている背景を整理します。
宗教観の変化と合理的な考え方
まず大きな要因は、死を「穢れ」とみなさない宗教観が浸透してきたことです。代表的な例として浄土真宗では、故人は阿弥陀如来の導きによって浄土へ往生すると考えられるため、「死は不浄なものではない」とされます。そのため、本来の教えに従うと塩を用いたお清めは必要ありません。
また、現代社会では「科学的に見て塩で清める意味はない」と合理的に考える人も増えています。感染症対策や衛生面を気にする場合には手洗いやうがいを優先する方が実用的であり、塩にこだわらない流れが自然に広まっています。
葬儀会社や式場の対応事情
葬儀会社のサービス内容の変化も大きな背景の一つです。かつては返礼品や会葬御礼と一緒に塩を渡すのが一般的でしたが、近年は次のような理由から省略されることが多くなりました。
- 宗派や参列者の考え方に配慮する必要があるため。
- 形式的な配布よりも簡素でわかりやすい葬儀を求める声が増えているため。
- 返礼品の多様化により、塩が必ずしも必須アイテムではなくなったため。
また、家族葬や一日葬といった小規模な葬儀では「形式を簡略化したい」という意向が強く、塩が省略されやすい傾向にあります。
実際、都市部の葬儀社では塩を配らない方針を取るところも増えており、参列者が塩を持ち帰らなくても不自然ではなくなっています。これは「多様な宗教観や価値観に合わせた柔軟な対応」と言えます。
このように、葬式後に塩を使わないケースが増えているのは、宗教的背景と社会の合理化の両面から生まれた自然な流れです。
したがって、塩の有無で悩む必要はなく、自分や家庭の考え方に沿って判断しても問題はありません。
まとめ:葬式後の塩は「必須」ではなく状況に応じて判断しよう
葬式後に行う「お清めの塩」は、古くからの習慣として広く知られていますが、現代においては必ずしも行う必要はありません。宗派や地域、そして家庭の考え方によって「必要」とされるか「不要」とされるかが大きく異なるため、一概に正解はないのです。
もし葬儀社から塩が渡された場合は、玄関先で軽く体に振りかけ、日常に戻る区切りとするとよいでしょう。逆に塩が渡されなかったり忘れてしまった場合でも、マナー違反にはなりません。手洗い・うがいをしたり、衣服を払ったり、一礼して気持ちを切り替えるなど、代わりの方法で十分対応できます。
また、近年は「死を穢れとみなさない」という宗教観や「形式よりも心を重視する」という考え方が広がり、葬儀社でも塩を配らない傾向が見られます。特に家族葬や一日葬といった小規模な葬儀では、簡略化の一環として塩を省くケースが増えています。
大切なのは、「形式を守ること」よりも「故人を偲ぶ心」や「遺族への思いやり」です。お清めの塩を使うかどうかで悩むよりも、参列の態度や言葉、故人への誠実な気持ちを大切にすれば十分に礼を尽くせます。
つまり、葬式後の塩は「必須のマナー」ではなく「状況に応じて判断できる習慣」です。柔軟に対応しながらも、自分や家族にとって納得のいく形で区切りをつけることが、安心して日常へ戻る第一歩になるでしょう。